【宗慎茶ノ湯噺】其の二 弥生 貝覆

 

現代のライフスタイルに即した新しい茶道の愉しみ方をご提案する、中川政七商店グループの新ブランド「茶論(さろん)」が月一回お届けする「宗慎茶ノ湯噺」。第二回のテーマは、三月の上巳の節句・雛祭りにかかせない「貝覆(かいおおい)」です。


運命の人との出逢いを願って

「貝合わせ」は、正式には「貝覆(かいおおい)」とよびます。五節句のうち、三月の上巳(じょうみ)の節句、いわゆる雛祭りの茶会やこの時期の設えで好まれる、大事な調度品の一つにこの貝覆があります。

貝覆とは、蛤の貝殻の内側に、美しい岩絵具や金・銀をつかった絵が描かれたもので、もともとは御所や大名家の位の高い人たち、その中でも特に女性たちが座敷で遊ぶための道具でした。

貝類は、春に旬をむかえる上巳の節句の頃においしい食材であることはもちろんありますが、それよりも何より大切なのは、蛤の貝殻の片割れが世界に一つしかなく、それでないとぴったり合わさらないという点なのです。そのことから、女性が良縁に恵まれますように、 オンリーワンのベストパートナーに恵まれますようにという願いをこめたものとして、 女の子の成長、そして幸せを想う、雛祭りに欠かすことができない象徴的な素材として蛤が重宝されるようになりました。

ですから、結婚式のお祝いや雛祭りの蛤のお吸い物に使われるのは、この世の中で片割れがぴったり合う貝殻はたった一つであり、もともとの貝殻以外に合うことがないためで、最高の伴侶に巡り合えますようにという祈りがこめられているのです。

そして、一つしかぴったり合うものが存在しない貝殻たちを組み合わせて、今でいうトランプの神経衰弱と同じような遊びが生まれました。それが貝合わせです。遊びの名前が貝合わせで、貝殻一つひとつの道具の名前が貝覆いというのが正解です。



もっとも大切なお姫様の嫁入り道具

貝覆がいかに大切にされていたかが分かるエピソードがあります。

昔は、貝覆を八角形の桶に入れていましたが、この貝桶こそが大名家の嫁入りのときに調度品の象徴として扱われていたものなのです。お輿入れのときは、まず貝覆からお輿入れされていました。様々な家財道具がある中で、嫁入り調度の筆頭として扱われていたのが一対の貝覆が入った貝桶だったのです。初めにその貝桶から持って行き、嫁入り先の家で間違いなく貝桶を受け取り、きちっとおさまったことを確認した後に、他の調度品が運び込まれ、お嫁入りの儀式が始まるというぐらい、大切なアイテムでした。

やがて、ゲームとして貝合わせが登場し、貝覆がばらばらに使われ始め、お茶席の場合は香合に見立てられたりするようになりました。現在では、春になると、雛祭りの趣向の茶会などにおいて、床を飾る大切な道具の一つに見立てられ、好まれるものになっています。

ただ綺麗で美しいというだけでなく、やはりそこには人の幸せな人生を願う、大切な祈りがこめられているのです。

余談ですが、大名のお姫様の婚礼調度は、立派で豪華なものが多く、一番有名なところでは名古屋の徳川美術館に所蔵されている国宝の「初音の調度」があります。三代将軍家光の長女が尾張徳川家に嫁ぐときに用意されたこれら調度の中には、もちろん貝覆の入った貝桶があります。

女の子の一生を守る“お城”

だけど考えてみてください。昔の大名家のお姫様は、江戸の屋敷で育てられ、そのまま別の大名家に嫁ぎ、御殿の奥底で一生を終えました。旅はおろか外出も自由にできず、本当にごく狭い世界の中で一生を終えることが当たり前。昔は「入り鉄砲に出女」と言われたぐらい、江戸時代の各大名家、特に大事な御正室は、それだけの道具で嫁入りさせられることからもわかるように、生まれも正しく、お姫様として生まれてきた女性たちであり、御殿の奥底で育てられ、また別の御殿の奥深いところに嫁がされる定めでした。旦那様であるお殿様が亡くなれば、余生をどこで送るか選択できた場合もありましたが、そうでなければまたどこかのお寺に菩提を弔うために引っ越すといった具合に、本当に狭い世界で生涯を終えていたのです。

一見、あのような立派で美しい誂えとともにお嫁に行けるなんてお姫様はお幸せねという風に見えますが、御殿の奥から奥へと、ごく狭いところで人生を終えることを思うと、あの美しい豪華絢爛たる婚礼調度品は女の子の一生を守るお城であり、かつ何よりの慰めでもあったのでしょう。

女性や家の沽券を守るお城のようなものでもある嫁入り道具としての貝覆が、また次のお姫様に分けられ、受け継がれるということを思うと、感慨深いものがあります。
 

 

木村宗慎(きむら・そうしん)
1976年愛媛県生まれ。茶道家。神戸大学卒業。少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。その一方で、茶の湯を軸に執筆活動や各種媒体、展覧会などの監修も手がける。また国内外のクリエイターとのコラボレートも多く、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。 2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』(新潮社刊)の編集にも携わる。現在、同誌編集委員。著書『一日一菓』(新潮社刊)でグルマン世界料理本大賞 Pastry 部門グランプリを受賞のほか、日本博物館協会や中国・国立茶葉博物館などからも顕彰を受ける。他の著書に『利休入門』(新潮社)『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』(ともにCCCメディアハウス)など。日本ペンクラブ会員。日本食文化会議運営委員長。

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