NAKAGAWA MASASHICHI SHOTEN
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一七一六1716(享保元)年、奈良晒の商いからはじまった中川政七商店。一九八五1985(昭和六〇60)年にはじめてのブランド「遊中川」を立ち上げて以来、日本の工芸をベースに全国各地八百社を超える工場や工房とのものづくりを続けてきました。産地で育まれる素材、つくり手の技術や知恵、そして、ものに込められた想いを受け継いでいきたいー私たちのものづくりは、そんな想いを起点にはじまります。

日本の工芸には、「風土」としか言い表せない、人と自然の営みが織り込まれています。数多の先人たちの知恵や技術、自然への畏敬の念、手仕事の温かみや凛とした佇まい、暮らしの歳時記など、そんな、風土の結晶とも言える“日本の工芸”が、未来の選択肢としてあり続けるために。中川政七商店は、これからもさまざまなかたちで「日本の工芸を元気にする!」を実践していきます。

Vision

日本の工芸を元気にする!

ものが溢れるこの時代、
何を選ぶのか、
さらに言えば、
何をもって善とするのか
何をもって美とするのか
何をもって真とするのか
個人の価値観が問われる時代であると感じます。
そしてそれは企業においても同じです。

私たち中川政七商店は、
日本全国の産地から
人の手によって生み出される
この「工芸」なるものを残したい。
100年後にも工芸が
人々の暮らしとともにあるように。
これからも私たちは全力で
日本の工芸を元気にします。

人
布 布
Why

なぜ日本の工芸を元気にしたいのか。

しつらい しつらい
  • 「日本の工芸」の現在地

    工芸における産地の生産額は1980年代をピークに減り続け、2020年には1/6ほどに。従業者の数もピーク時の1/5となりました。
    ※一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会資料より
    実際、もうすでに生産することが難しい工芸品もあり、ここ数十年の間にも、たくさんの日本の工芸が姿を消しています。また、その多くは、大きなニュースとして取り上げられることもなく、最後の1点として美術館に飾られることもなく、人知れず幕を下ろしているのが現状です。

  • 文化、風習、暮らしかたを継ぐ
    “よりしろ”となる工芸

    全国各地の工場や工房で細やかに施される丁寧な仕事とつくり手の静かな誇りに触れるたび、こうしてたくさんの人の手によって、時代に沿って形を変えながら続いてきたものづくりを次の時代に継いでいくことの意味を考えるようになりました。
    例えば、地域に伝わるお祭り。人々が祈りを捧げる場には、その土地で育まれた素材と技術を用いたものづくりが、何代にもわたる祭りの継承を支えていました。工芸は、道具である「もの」を通して、その土地の歴史や文化、風習、そして日本の風土にあった暮らしかたを教えてくれます。100年後にもそれらを届けるために、工芸が“よりしろ”となりうると考えています。

How

どのようにして、元気にするのか?

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  • 全国800を超えるつくり手とともに、
    工芸をつくり、伝えるSPA(製造小売)事業

    社名を冠したブランド「中川政七商店」を中心に、日本の風土のなかで育まれてきた工芸の知恵や工夫に学びながら、暮らしの道具を企画・製造・販売。全国約60の店舗やWebサイト、イベントなどを通して届けることで、使い手と工芸の橋渡しをしています。

  • 工芸メーカーの自立を支え、
    産地の一番星をつくる産地支援事業

    全国の産地やメーカーに伴走・協働しながら、経営コンサルティングをはじめ、次代のつくり手・担い手を育成。また展示会やイベントを通じた工芸の魅力発信など、さまざまな産地支援を通して、“つくり続けることのできる”環境づくりに尽力しています。

具体的な事業内容
Future

「日本の工芸」が元気になったら?

「日本の工芸を元気にする!」をもとに、
さまざまな実践に取り組む私たちが描く未来 ―

それは、つくること/使うことを起点に、
その土地に培われてきた文化や知恵に触れることを通して、
つくり手、使い手、産地がゆるやかにつながり、
相互によりよい循環が生まれるような風景です。

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  • 鳥
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これまでの歩みと、
今の私たち